京都の学校にいきづらい子どもたちが中心になってつくっている学びの場「あきちの学校」。そこでは毎回、みんなで詩を読んで、自分でも詩を書いてみる時間があります。 母音だけで詩は書けるのか挑戦した「あいうえおのうた」。谷川俊太郎の同名の詩集を読んで、ゲラゲラわらい転げながら書いた「ことばあそびうた」、新川和江の詩「ふゆのさくら」になぞらえてそれぞれの詩を書いた「わたしのふゆのさくら」、あきちの学校外のノートブックに書き溜めた自由詩。この本は7歳から12歳までの子どもの詩をまとめたうつくしい詩集です。
私が小学生のころ、詩を作る授業があった。一人称を「ぼく」か「わたし」のどちらかで始まる自由詩を作るというもの。「詩というものは作文とはちがって、なんでも自由に書いてよいんだ」とのこと。しかし当時女の子だけど、自分のことを「ぼく」と話していた私は、非常に悩んだ記憶がある。 結局人の目を気にして「ぼく」とは書けなかった。「自由に書いてよい」の自由をさらけ出せず、子供ながら大人が期待しているであろう答えを生み出そうと、ご機嫌取りの出来過ぎくんみたいな詩を書いたことを思い出す。
ここに収録された新川和江の詩「ふゆのさくら」の一節をなぞらえて作られた詩に驚いた。まずこの「ふゆのさくら」は大人の男女の恋愛詩なのだ。 しかしここでは情感たっぷりに自分たちの「あなた」「わたくし」を詠っている。なんて自由なんだろう。
私が小学生のころにこんな教室があって、こんな詩を書く時間があったなら。 思いもよらない言葉が堀り出され、知らない自分が立ち現れたことにきっとわくわくしただろう。ここに詩を寄せた子どもたちがとてもうらやましい。
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